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日本人へ リーダー篇 [新書]

9月11日に、米南部フロリダ州のキリスト教会が、イスラム教の聖典コーランを焼却する行事を計画しているという記事が新聞に載っていた。米同時テロは憎むべき所業だということは、多くの人の共通認識であろうが、憎むべきはイスラム教徒なのか?ということである。例えば、キリスト教徒が銃乱射事件を起こしたとしても、キリスト教の教義がおかしいからだという糾弾の仕方はしないだろう。

先日読んだ潮野七生著『日本人へ リーダー篇』の中で、9.11当時のブッシュ政権が、テロは戦争であると規定したことが大きな誤りであるとしている。「戦争ではなく、犯罪とすべきであった。なぜなら、戦争だと規定すると、敵とされた側、この場合はイスラム教徒たち、を団結させてしまうからである。」と。

ウィキペディアによると、世界の宗教の信者数は、キリスト教が20億人(33%)、イスラム教が13億人(22%)だそうである。この教会の牧師は、20億人対13億人の闘いを始めるつもりなのだろうか?

一部の先鋭化した人間の暴走だと言えれば良いのだが、教会という一つのコミュニティが行おうとしていることので、そうとも言えないところが問題。アメリカ人の意識の中に根強く横たわる感情の表れとするほうが素直な見る方だろうか?これもひとえに一神教徒であるが故のことであろう。

塩野氏は、この著書の中で、一神教徒である人々からすれば、八百万の神々を信じているような日本の多神教は宗教ではないと言うだろうが、「一神教と多神教のちがいは、一人と多数という神の数にあるのではない。最も本質的なちがいは、一神教には他の神々を受け入れる余地はないが、多神教にはあるというところにある。要するに、他者の信ずる神を認めないのが一神教で、認めるのは多神教なのだから。」と論破している。

すなわち、日本人には、多神教ゆえの「寛容」があるというのである。多神教時代のローマ人も、これをクレメンティア(寛容)と呼んでいたそうだ。

これからの時代、「寛容」が一つのキーワードになるのかも知れないと感じた。

日本人へ リーダー篇 (文春新書)

日本人へ リーダー篇 (文春新書)

  • 作者: 塩野 七生
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2010/05/19
  • メディア: 新書

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