女王の百年密室@森博嗣 [ミステリー]
女王の百年密室―GOD SAVE THE QUEEN (新潮文庫)
- 作者: 森 博嗣
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2004/01
- メディア: 文庫
外界から遮断されているルナティック・シティは、デボウ・スホ女王により統治されています。しかし、その実、「神」「影」あるいは「ゴースト」と呼ばれる存在が見え隠れしている世界。
忌館@三津田信三 [ミステリー]
「人形荘」という曰く因縁がありそうな洋館に移り住むことになった主人公が、同人誌に投稿する「忌む家」という怪奇小説。この現実の洋館を巡り起こる怪異と小説の中で起こる出来事が奇妙にシンクロしていて、やがて夢かうつつかわからないような状況になってくる。
「忌む家」の登場人物である津口十六人の『にちゃり』という笑いの擬態語が、何とも嫌らしく不気味で、強く心に残った。この表現を生み出した著者には敬意を表したくなる。
全くの余談であるが、作中に「魔鬼雨」というオカルト映画のタイトルが出てくる(P266)。
少女ノイズ [ミステリー]
★目次★
Ⅰ Crumbling Sky
Ⅱ 四番目の色が散る前に
Ⅲ Fallen Angel Falls
Ⅳ あなたを見ている
Ⅴ 静かな密室
解説 有川浩
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表紙カバーの大ぶりのヘッドフォンをつけた少女のイラストに心惹かれて購入したこの文庫本。
著者の三雲岳斗は、アニメ『アスラクライン』の原作者ということは知っていたが、その著書を読むのはこの作品が初めて。
私にとってのこの作品は、ミステリーとしての謎解きよりも、この物語の主人公の一人である斎宮瞑に魅せられたことに尽きる。
巻末の解説で有川浩が書いているように、正に「ザ・キャラ読み」状態になってしまったのである。そういう意味では、著者の術中にまんまとハマってしまったわけである。
瞑は、高校では生徒会長も務め、優等生然としているのに、予備校の雙羽塾では、音楽プレーヤーにはつながっていないヘッドフォンをつけて、かなり投げやりで無気力な態度をとっている。そのギャップが面白かった。
そして、もう一人のこの物語の主人公高須賀克志(通称「スカ」)とのやり取り。いつもどこかすれ違っているようで、接するうちに徐々に瞑の態度が変わっていくところが微笑ましい。
これはミステリーの形を借りた「ボーイ・ミーツ・ガール」の物語なのだと気づく。
瞑は、自分自身のことを、「不仲な両親を繋ぎ止める最後の絆」と位置付けて、両親の離婚を防ぐために、理想の娘を演じる。そのため、学校ではムリをして優等生を装い(実際に成績優秀で優等生なのだが)、その反動で予備校では死人のような無気力状態になってしまう。
その状態を、スカは、あるとき、次のように表現する。
「しかしなぜか今日の彼女は、いつもより格段に強い屍臭を放っているように思う。もちろん屍臭というのはただの比喩で、実際の瞑は恵まれた容姿の少女なのだが、彼女にまとわりつく不穏な空気は、やはり屍臭としか表現できないものだった。」と。
美少女に対して「屍臭」はないだろうと憤りを感じつつも読み進めていくと、やがて、そんな彼女の努力にもかかわらず、両親が離婚してしまったことが物語の終盤で瞑の口から告げられる。
そして、瞑が雪降る日にスカの前から姿を消してしまったときには、とうとう彼女の心も折れてしまったのか、と思った。
スカがガス爆発事故に遭い、病院に入院してしまったところ、瞑がアメリカから帰国して見舞いに訪ねてきてつぶやく・・・。
「本当に・・・・・・どうしてまだ生きているのかしら」
この言葉は、もちろん、スカに対して発せられたものであると同時に、自分自身に対しても向けられたものでもあるのではないかと感じた。
すなわち、努力の甲斐なく両親が離婚してしまって、家族を守るという目的が達せられなかったのに、どうして自分は生き長らえているのかと。
でも、家族はバラバラになってしまったが、スカと出逢えたことで、瞑には新たな生きていく希望、スカに寄り添いながら生きていくという望みが生まれたのであろう。
そういう意味で、最後の結びは少女マンガのようではあるが印象的だった。
『クロック城』殺人事件@北山猛邦 [ミステリー]
世界が終わりを告げようとしている1999年9月。何が原因で世界が滅びるのかは明かではないが、滅びることは運命づけられているという世界。
観測史上最大の太陽黒点が発見され、その黒点が吹き上げるフレアが、磁気を帯びた風となり、地球に影響を及ぼし、世界各地で磁気嵐が頻発。その磁気異常により電子機器や精密機械が正常に働かなくなり、また、異常気象が多発して雨が降り続ける世界。
フレアが地球に影響を及ぼすというあたりは、昨年観た映画「ノウイング」を思い出す。
この物語の舞台となる『クロック城』の正面の外壁には、巨大な時計が横に三つ並んで設置されている。一つの文字盤の直径は10メートルほど。真ん中の時計は現在の時刻を、左の時計は10分遅れた過去の時刻を、右の時計は10分進んだ未来の時刻を指しているという。
この館で首なし死体が発見されるわけであるが、その殺人のためのトリックが、先日読んだ島田荘司著「摩天楼の怪人」の中で使われていたものと似通っているなと思った。作品が発表されたのは、『クロック城』殺人事件の方が「摩天楼の怪人」よりも先のようであるが。
死体の首を切り取った理由というのが、なかなか斬新で、そんな目的のために切り離された頭部を持ち去る犯人は後にも先にもこの作品だけであろう。その点、オリジナリティにあふれていた。
もっとも、終末を迎えようとしている世界の中にあっては、殺人を犯す犯人の動機も、空しいものに思えてしまったが・・・・。
御手洗潔対シャーロック・ホームズ@柄刀一 [ミステリー]
青の広間の御手洗
シリウスの雫
緋色の紛糾
ボヘミアンの秋分
巨人幻想
石岡和己対ジョン・H・ワトスン 島田荘司
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東西の名探偵である二人が、時空を超えてどのように対決するのかと興味津津で読み始める。
読む前の私の予想は、過去においてホームズが解決した事件を、現代の御手洗が別の解釈をして真の解決に結びつけるというものだったのだが・・・。
さて、柄刀一氏が描く〈御手洗潔〉は、本家本元島田荘司氏のそれと比べても遜色がなかった。いや、本物以上に本物っぽく、御手洗潔ならきっとこういう言動をとるだろうなというツボがきちっと押さえられていた。
御手洗が確かにここにいる!と感じられて、御手洗潔の外伝を読んでいるような錯覚に陥った。
一方のシャーロック・ホームズとその助手のジョン・H・ワトスンは、何故か現代の日本の二子玉川に探偵事務所を構えているという設定。ホームズ本人なのかどうか判らないが、推理に冴えは確かにホームズっぽい。
この二人相まみえたのが「巨人幻想」。イギリスにおいてのこと。二人が邂逅する場面は、何だかドキドキしたが、顔を合わせるなり、お互いの実力のほどがわかり合えていたのはさすがである。
蛇足ながら、巻末に収録されていた島田荘司による「石岡和己対ジョン・H・ワトスン」という御手洗潔の友人石岡和己とワトスン博士の書簡のやり取りも楽しく読ませてもらった。
摩天楼の怪人@島田荘司 [ミステリー]
若き日の御手洗潔がその謎に挑むわけだが、島田氏のいくつかの作品の中に流れる都市論に対する思い入れが、本作品にも脈々と流れている。すなわち、
「エムパイヤ・ステート・ビルのてっぺんには誰も使っていないエレベーターがある。その上は廃墟になった飛行船の発着場だ。造りかけて挫折して、あきらめて放り出されたそれを、別の誰かが違う機械に造り変えようとして、やっぱり失敗して、また違う誰かがそれを壁に塗り込めて、そうやってこののっぽの街は変貌していくんだ。徐々に得体の知れない怪物に変身していく。何十年もの時間をかけ、ゆっくりとだ。だからこれらはもう、どこに、どんな仕掛けを隠しているか知れない。摩天楼はそういう、とてつもない機械の群れなんだ」と、
あるいは、
「ここは巨大な蟻塚なんだ。泥の塚のてっぺんから、その足もと遙かな地中にいたるまで、蟻はびっしりと住みついている。マンハッタンとは、過剰な設備を持ち、栄養満点の食料を日々排出しながら運転を続ける、巨大な生命維持装置なんだ。この岩の島全体が巨大な機械なのさ。あれから調査して、ぼくも知った。合法的な居住空間にいる者だけでなく、その外側の者をも養えるほど、そのエネルギーは過剰だ。こんな場所がかつて地上に生まれたことはない。だから無料の電気、地中いっぱいを走る無料の暖房用蒸気を日々盗みながら、意表を突く場所に、さまざまな人間が住みついている」と御手洗に語らせているあたりに、島田氏の都市論の一端が垣間見えている。
屋上庭園というコンセプト自体は、いまや珍しくはなく、日本国内に建設されている高層ビルでも取り入れているところではあるが、セントラルパーク・タワーが建設されたとされる1910年代にすでにそのようなものが実際に造られていたのかどうか寡聞にして知らない。
途中に織り込まれていた「地中王国」の話は、江戸川乱歩の世界を彷彿とさせたが、その意味合いは、読者のミスリードをねらってのことだったのだろうか?ということが最後に私にとっては疑問として残された。